\さいごまで/ じぶんちing研究所

”ずっと自分の家で暮らしつづけること=じぶんちing”について考える。

トーストとコーヒーから考えた”じぶんちing”の意味

休日の朝、トーストとコーヒーで朝食をとりながら、ふと考えました。

少し遅めの時間に起きて、お決まりの食事をする。

たった、これだけの行動でも、いろんなことを自分で選択しているんだな・・と。

 

起きる時間、パンやコーヒーの銘柄、パンの焼き方、コーヒーの淹れ方、
誰と話しながら、何を見ながら聴きながら食べるか・・・

普段、何気なく選択している行動ですが、それを無意識にできるのが「自由」というものであり、自宅で暮らす意味なのかもしれません。

そうだ、私が人生のさいごまで続けたいのは、
リッチな生活じゃなくて、自分で自分の行動を選べる自由がある暮らしなんだな。


私は在宅医療を行う診療所で、最期まで自宅で暮らしたいと願う患者さんの相談にのったり、退院される際の病院との調整などを主な仕事にしています。

「施設より自宅がいいに決まってる!」とか「さいごまで自宅で過ごすのがサイコー!」
とか単純に、そんなふうに言うつもりは全くありません。

自宅よりも施設でいろんな人と一緒に住むのが楽しい人もたくさんいるだろうし、
そもそも、身体状況や医療処置の面で、施設や病院でないと生活が難しい方もいると思います。

ですが、
高齢者になったら嫌だけど施設に入るのが当然だろう・・、とか
本当は自宅でずっと過ごしたいんだけど、どうせ無理だろうな・・、とか
子供が「心配だから施設に入って」というから仕方なく・・とか

思っている方がいれば、自宅でさいごまで過ごすことは、おそらく世の中の多くの方が思う以上に、それを望んで、準備をすれば、実現可能な選択肢であることを知ってほしいと思いました。

 

そのため、病気や障害があっても、さいごまでじぶんのうちで暮らすことを、”じぶんちing"と名付けて、何か役立ちそうなことをこのブログを書いてみることにしました。

私自身は、家族が在宅医療を利用したこともないし、
患者さんやご家族の本当のお気持ちは想像するしかありません。

ですが、さいごまで自宅で過ごすことで、とてもよい人生の時間を過ごされた患者さんやご家族の様子は、仕事の中でたくさん見聞きします。

私も家での時間が好きだし、気の合うひとと、できれば人生の最期まで自宅で気軽に暮らせればいいなと考えています。


Let's be じぶんちing!