\さいごまで/ じぶんちing研究所

”ずっと自分の家で暮らしつづけること=じぶんちing”について考える。

Deathフェスに行ってきた

東京渋谷ヒカリエにてDeathフェスというイベントが行われたので、行ってきました。

deathfes.jp

なかななインパクトのある名前のこちらのイベント。
死に対する価値観のアップデートを目的にした今回が初開催のイベントです。
「死」に関する話というとシニア向けの「終活」になってしまうことがほとんどですが、
誰もに必ず訪れる死を、もっとみんなで前向きに考える機会があるべき!という趣旨でした。

 

聞いた全てのセッションが面白かったのですが、例を挙げてみると・・

 

死後労働。

死後に生成AIなどを用いて仮想空間で復活させることが可能になった今、死後の復活を生前に希望すかどうかの本人の意思決定も必要になると思われるが、議論や法律も追いついていない状況とのこと。たとえば数年前の紅白歌合戦でCGで復活した美空ひばりが歌う映像が流れたが、そのときも賛否両論になった。

すごい時代になりました。「死後労働」という概念自体を初めて知りましたが、自分の意思や希望もなく復活させられるのは、確かに違和感があります。

 

樹木葬

ヨーロッパでは森や公園の中に墓地があるという考え方で、その場所は市民が余暇を楽しむ場所になっているのだそう。ヨーロッパでは人は死んだら「場所」になって、日本では人は死んだら「遺骨」というモノになる。日本ではお墓にご先祖様がいるが、ヨーロッパでは、もうそこには魂はない。これは宗教観によるもの。日本の樹木葬は、お墓の上に木を立てるイメージで、その木の周りにプレートを置く。つまりこのプレートが小さいお墓であり、概念としては従来とあまり変わらない。

ただ、現在の日本でも葬儀も無宗教だったり家族葬が好まれる傾向にあるそうで、いずれ埋葬の概念も変わっていくのかもしれません。

 

 

今回のイベントに参加して、死について、医療や介護など、ケアを提供する側が主催するイベントにしか参加したことがなかったことに気が付きました。

私は元々は薬剤師なので、緩和ケアや在宅に関わる学会などには、よく参加します。このため、死や終末期などのテーマにはよく接するのですが、今回のイベントでは、今までとは全く異なった方向から死を見つめていて、とても新鮮でした。

改めて知らないうちに、死について医療者側のフィルターを通してのみ、考えていたのかもしれません。

 

死を考えることは、生きることを考えること。

 

No one wants to die. Even people who want to go to heaven don’t want to die to get there. And yet death is the destination we all share. No one has ever escaped it. And that is as it should be, because Death is very likely the single best invention of Life. It is Life’s change agent.

 

死にたい人はだれもいない。天国に行きたい人でさえ、天国に行くために死にたくない。

死は私たち全員が共有していて、だれも逃れられない。そして、そうあるべき。

なぜなら、死は、生のこれ以上ない発明品であるから。
死は生のチェンジエージェント(変化の促進者)。 
(私なりの日本語訳です)

 

こればスティーブ・ジョブズスタンフォード大学の卒業式のスピーチの中で、私が一番好きな部分です。

 

死を考えることで、それまでどう生きたいかを考える。
そして、そのためにずっと家で暮らしたいのなら、多くの人がそれを実現する方法を考えたい。
それが、そもそも、このブログを書き始めたきっかけです。